千葉市議会議員(美浜区選出・2期目)として活動中。市民目線で情報発信しています!
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戦争の話を聞きにいきました
市民ネットワークみはまでは 戦争の話を聞かせてください の呼びかけを続けています → 戦争の話を聞かせてください@広島原爆の日に際して(2018年8月6日ブログ)

・ 私たちの日常生活が、戦争によってあっという間に足元から崩されてしまうこと。
・ それに対して、いま どのように地域から平和をつくっていけばよいかを考えること。

たくさんの課題を受け止めながら、お話しを聞いています。

まちづくり通信 にも毎回、聞き取りの内容を載せています → 市民ネットワークみはま・まちづくり通信(2019年11月1日ブログ)

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昨日(12月27日)、高洲に住む方から話を聞きました。

<戦争の話>
・ 昭和12年生まれ。船橋市の漁師町で育った。
・ 父親は大工で器用だった。漁師の求めに応じて、身の回りの道具などもつくっていた。
・ 市で唯一の幼稚園に通ったが、お遊戯会の歌を今でも覚えている。「将来は立派な軍人になりたい」との歌詞だった。
・ 昭和16年に母がラジオをきいて「戦争が始まった!」と言った。最初はそれほど影響がなかったが、だんだん社会の状況がひどくなった。
・ 金属類を拠出するようにと、婦人会の委員長が自宅に乗り込んできて、金属類をすべて持っていった。
・ 父の自慢の自転車(昭和初期のもの)も狙われたが、「これがないと仕事に行けないから」と断ったところ何とか手元に残すことができた。
・ お寺の鐘もなくなった。
・ 両親が趣味で集めていたコイン類もすべて持っていかれてしまったので、今でもTV番組『何でも鑑定団』に戦時中のコインが出てくると、腹が立つ(自分の家は拠出したのに、無事だった家があったとは!)
・ 漁師町には木造の住宅がびっしり並んでいたが、空襲で火事になったら大変と、家が間引きされることになった。
・ 自宅の木造長屋も壊す対象となり、仕方なくリヤカーで家財道具を運び出し、内陸部へ疎開した。
・ 昭和20年3月10日の東京大空襲は、船橋からも空が真っ赤に燃えている様子が見えた。
・ 竹槍訓練を行っていたが、こんな爆撃に役に立つのかと子どもながらに思った。
・ 昭和20年8月15日は朝から米軍の飛行機が上空を飛び回っていた。
・ 自宅にはラジオがなかったが、昼頃、近所の人が「戦争に負けた」と飛び込んできた。木造長屋を壊す前に戦争が終わったので、漁師町に戻った。
・ 戦争が終わったとき、小学校3年生だったが、千葉に行くと、駅に「浮浪児」がいて、物乞いをしていた。
・ 戦後は食糧難だったが、警察の目を盗んで、食べ物を調達する人がたくさんいた。
・ 今の若い人には考えられないような状況なので、こんな話をしたこともなかった。
・ 戦争は大変。戦争の後始末をするのに、100年かかるといわれているが、実際、70年以上経っても未解決の課題がありますね。

  #  長時間にわたり、いろいろな話を聞かせていただきました。感謝しています!

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